日本語はどこへ向かおうとしているのか

e0254184_1630452.jpg



〜ふかいことをおもしろく〜「日本語教室」へようこそ!








井上ひさしさんのお書きになったものを最初に読んだのは、大学1回生の時に手にした「日本語相談」でした。現在では、新潮文庫から各回答者ごとにまとめられた文庫が出ていますが、もともとは週刊朝日に読者から寄せられた、日本語に対する素朴な疑問や質問に4人の日本語の達人が解答するという、人気連載をまとめたものでした。


私はそれまで、言語としての日本語をさほど意識して暮らしていなかったので、この本をきっかけに回答者の方が書いた本を読んだりして一気に日本語の魅力に惹かれていきました。英米語学科に進んだのを後悔したほどです(笑)。その中でも、井上さんの文章はとても「やさしく」心にしみました。



井上さんと言えば、例えば「私家版・日本語文法」という大変な名作がありますし、日本語について総括的に考えるのなら、あるいはもっと良い本もお書きになっているかもしれません。今日ご紹介する「日本語教室」は、上智大学で2001年から4回に渡って行われた講演会を、1冊にまとめたものです。専門書に比べれば井上さんらしい脱線(?)も多いのだけど、その分読みやすさという点と、それから2000年以降という、比較的最近に井上さんが日本語についてどうお考えになっていたのかが分かるという点とで取り上げます。



私自身は、「言葉は生き物なので時代時代によって変わって当然」という立場に理解を示した上で、しかしそれでも保守的な立場、正当(何をもって正当とするのかは大問題なのですが)に対する最大級の敬意と、意識を持たないといけないと感じています。何でも「みんなが今はそう言っているからそれで良いんじゃない?」では、国語としての日本語はあっという間に体を為さなくなってしまいかねませんし、言葉が崩れるというのは、すなわち一国の国民の思考そのものが“崩れる”という事だからです。



ですから、井上さんが「言葉は常に乱れている」とした上で、《日本の言葉も、小学校で英語を教えようということになったときに、僕は本当に危ないと思いました。すべて、そうやって、言葉は消えていくのです。言葉は、実体がない。人間がそれを話すまでは、ないのと同じです。人間がそれぞれ持っている精神を、言葉というものに託したときに、つまり人間がいてこそ言葉は生きていくわけです》(「日本語教室」P.57)とおっしゃるのが、とても重く感じられましたし、《英語をちゃんと書いたり話したりするためには、英語より大きい母語が必要なのです。だから、外国語が上手になるためには、日本語をしっかりーたくさん言葉を覚えるということではなくて、日本語の構造、大事なところを自然にきちっと身につけていかなければなりません》(同書。P.20)というところも、今一度考え直したいなと感じました。




「言葉・言語」を考えるというのは、思っている以上にややこしい問題を本質のところではらんでいます。1つは、“ここまでいったら「あがり」だよ”というゴールが無いのもあって、私達は大人でもまるで素人の様に言葉に対して不安や自信の無さがあるにも関わらず、もう1つは毎日特に考えなくても意思の疎通ができるといった、外国語を話す時とは比較にならないほどの「プロ意識」みたいなものを、誰しも(一応)持っているからです。



何かとややこしい問題だらけではありますが、しかし言うまでもなく私達はこの日本語を使って、人を説得したり情報を交換したり相手をののしったり大切な異性に愛の言葉をかけたり怒ったり笑ったりしているわけですよね。そういった深い部分を、一級の文芸と話芸をお持ちだった井上さんの言葉でやさしく考える事ができるというのは、私は本を読む最大の愉しみの1つではないかと思います。



10月2日放送のラジオ「その場しのぎの男たち」でも、少し取り上げてみようと思っています。
by ANB27281 | 2012-09-23 17:30 | レビュー

鳥取県米子市で営業する、スバル代行社長の個人的なブログです